正直なことを言うと、このブログに再び戻ったのは全くの偶然。
 惰性のままにブラウザのお気に入りを上から順に、開いては閉じを繰り返し閲覧していた今夜。
 かねてからの物書きとして最も付き合いの長い友人の一人のブログを発見し、見ていなかった分を拝読していた際の事です。
 どうにも相互リンクなるもののなかに「中秋にて。」といういやにハイセンスなブログ名があったんですね、これが。冗談は九分九厘ほどではありますが、この時点で私は自身のブログであることに気付いていませんでした。

 リンクを開いて今に至るという。

 三日坊主にすらならぬ二日ほどの更新で、役目を終えていたこのブログに再度息吹を吹き込もうと思い至った4月24日の深夜1時。明日も昼から夜までみっちりとバイトの詰まっているので手短に近況を報告することで本日は筆を置こうと思います。

 この後、記事のURLを元活動用のtwitterに貼ろうと今思ったので、どこから語るべきかと逡巡した結果、かなりざっくりとした昨年4月からのながつきの軌跡を。
 まず4月、半年以上も前に内定の決まった会社に入社を果たす。それまでに初期の内定者ということでプレゼン、新規内定者の方々と既内定者の人間との潤滑油的な役割に落ち着きます。懇親会の進行、雑務などです。時には小説の書き方講座なるものを開くことになり、1週間程考えて慣れないプレゼンテーション用ソフトを弄繰り回して、演説じみた台詞を吐きながら内定希望者の前で話すこともありました。
 ここまで行ってきている事なのですが、無論タダでやっていたという意識はありません。内定段階で企業で独自に行っているウェブ上のサイトの運営、主に記事のライターとしての役割を頂いていたため、自身の有用性、積極性などを人事の人間に分かってもらおうと奮闘していたわけですね。
 結果としては人事の方と個人で食事に行くなど大成功を収めたと言っても過言ではありませんでした。
 だがだがしかし、いざ入社式を果たせば2週間の待機命令。
 これは一体どういうことかと思い、同期の人間にもSNSでコンタクトを取る。どうやらその他60人ほどの同期も待機状態という現状。上司に連絡を取りつつ、2週間が経ったその日、私は兵庫にほど近い場所で全く見当はずれな職に就いていました。
 具体的には携帯電話、インターネット光回線の店頭販売です。
 当然、私は上司に問いかけます。が返ってくる言葉は曖昧なものであり、どうやら採用人数などの兼ね合いで好きな部署には行けない・・・・・・まずは半年そこで頑張って欲しい、というものでした。
 この時点では多くお世話になった事もあり、素直に受け止めて必死に職務を全うしようとします。
 家電量販店では朝11時出勤、20時退勤と事前に聞いてはいた。
 蓋を開けてみればまず勤務先まで自宅から2時間、そして30分以上前には到着する必要があるため家を出るのは8時半。そして帰宅するのは22時……と思いきや家電量販店には〆作業なるものがあり、雑務をこなすうちに22時にようやく帰路に付けるのである。

 帰宅は24時過ぎである。かつ週休2日という訳でも無く、週1であったり、なかったりというクソっぷりである。正直どこで間違えたのかとかなりまいっていた。
 なんとか頑張るしかないと激励、この程度でへばっていられない。

 だがだがしかし、ここで更に問題が起こる。
 給金が振り込まれないのである。実質2ヶ月の間、無休での労働だったのである。
 3か月目にも振り込まれたのは事前に聞いていた額の3分の2。
 何かが、いや何もかもがおかしいと感じた私は人事と話しに行った。事前に行った職安での情報であれば、どうやら雇用保険なるものすらなく、本社に申請して頂いた書類では私の立場は「派遣社員」であった。
 思いのたけをぶつけ、嘘をついていたのかと人事に詰め寄る。返ってくる言葉はこれまた曖昧な謝罪のみである。最後に私は一縷の希望のもと、あと3ヶ月頑張って本当に当初の部署に行けるのかと尋ねた。

 結果、私は自主退職を行うことになる。
 ブラック企業、というより詐欺企業であったのかと感じる新卒としての苦い思い出です。この文を大人が見ればやはり「ゆとり世代は」という言葉が出てくるのだろうか。


 さて、退職した6月末。まず私は就職活動を行う。
 同時並行でバイトも行う、免許費用、奨学金返済、保険など返還すべきものは多くある。
 


 正直面倒になってきて眠いです。
 すごく簡単に言うと、今は就職活動は行っていません。バイトを詰め込んでお金を貯め、まずやりたいことをやるための資金集めという状態です。 
 この辺りは後日、またこのブログで書くことが出来ればいいなと考えております。


 では、本日はここで。